6月12日から17日まで山形県、新潟県、福島県方面をレンタカーでドライブ旅行してきました。

ドライブ旅行行程
6/12 羽田⇒JAL便で山形空港 レンタカーを借りる 天童市泊
6/13 酒田市泊
5/14 新発田市泊
5/15 会津若松市泊
5/16 福島市泊
5/17 山形空港から羽田 JAL便
車:ホンダ フィット
全ドライブ行程:731Km、
主な訪問先
*天童公園(舞鶴山) 「人間将棋盤」があった
*芭蕉・清風歴史資料館 山形県尾花沢市
*川の駅 最上峡くさなぎ 最上川下り乗船場を見学
*山居倉庫 (庄内米の貯蓄倉庫だった)
*酒田北港緑地展望台 酒田北港の歴史と現在の活況ぶりがわかった
*酒田市美術館 特別展示:白旗史朗展開催中だった
*土門拳記念館 特別展示:名取洋之助展開催中だった
*鶴岡市立加茂水族館 オワンクラゲの発光を見ることができた
*塩俵岩
*イヨボヤ会館 江戸時代から続く鮭の繁殖促進漁業
*村上市郷土資料館(おしゃぎり会館)
*新潟市 福島潟 (オニバス池) 広大な干拓地
*北方文化博物館 江戸時代の豪農の家
*新潟市新津鉄道資料館
*阿賀町郷土資料館 縄文土器の展示
*白虎隊記念館
*会津民族館 江戸時代の農家(国重要文化財)
*野口英世記念感染症ミュージアム
*磐梯吾妻スカイライン
*福島県立美術館
*上山城郷土資料館
*斎藤茂吉記念館
*山形県郷土館 文翔館

梅雨の季節で最上川は増水していました

尾花沢市にある『芭蕉、清風歴史資料館』を見学しました。松尾芭蕉の『奥の細道』の行路途中に10泊した尾花沢にちなんだ施設です。展示の中に一つの違和感がありました。有名な「五月雨を集めてはやし最上川」ですが、『早し』と記述しています。『速し』が正解で『早し』は誤記ではないかとChatGPTに照会してみました。ChatGPTのすばらしい回答です。
== ChatGPTの回答 ==
松尾芭蕉が生きていた時代の日本語では、「早し」は「速し」と書かれることが一般的でした。実際には、芭蕉自身が「速し」と表記することもありましたが、俳句や文学作品においては、古典的な韻律や響きを重視するために「早し」と表記されることもありました。ただし、現代の日本語では「速し」が一般的な表記となっています。



土門拳記念館に展示されている写真のうちの「イチオシ」を添付します。1957年撮影ですから、原爆後12年目の夏の写真です。写っている子供たちは12歳以下のように見えます。つまり、原爆後に生まれた子供たちです。土門拳さんは、広島の人たちは原爆後も新しい命を誕生させていることを、たった一枚の写真で表現したんでしょうね。


土門拳記念館の中庭にはイサム・ノグチが寄贈した作品が展示されていました。

鶴岡市立加茂水族館は、世界的にも珍しい「クラゲ」にフォーカスした水族館です。
「頭脳流失」の下村 脩さんがオワンクラゲの発光メカニズムの解析で2008年度ノーベル化学賞を受賞しました。ところが、この水族館で以前から展示しているオワンクラゲは発光しません。そのことを水族館長が下山博士に連絡したら、下山博士は、アメリカから電話してきて「適切な餌を与えれば発光する」と伝えました。その結果、水族館のオワンクラゲは見事に発光するようになりました。

会津若松の飯盛山にある白虎隊記念館は印象的でした。近くには白虎隊(の一部)が自刃した19名の墓があります。喉を自刃し気絶しながらも蘇生した飯沼貞雄の墓も近くにあります。私の自宅の近くに飯沼貞雄の4代目の子孫が住んでいて知己を得ているので、親近感をもって見学できました。


磐梯吾妻スカイラインの標高1200m頂上付近にある、「つばくろ谷展望台」から福島市内を望む眺望を楽しむことができました。あいにく梅雨空で少しモヤがかかっていましたが、快晴だったら『絶景』だろうなー、と少し残念でした。

広大な干拓地@新潟市です。ラムサール条約湿地登録推進中です。

旧山形県県庁舎と議事堂の2棟から成る英国近世復興様式を基調としたレンガ造りの建築物(大正5年建設)。昭和59年に国の重要文化財に指定、昭和61年から保存修復工事が行われ、現在は、山形県郷土館「文翔館」として一般公開。

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