4月7日から21日まで北海道をレンタカーでドライブ旅行してきました。
ドライブ旅行行程
4/7 羽田⇒ANA便で帯広空港 レンタカーを借りる 帯広泊
4/8 阿寒町上阿寒泊
4/9 & 4/10 弟子屈町泊
4/11 中標津町泊
4/12 根室市泊
4/13 厚岸町泊
4/14 釧路市泊
4/15 帯広市泊
4/16 富良野市泊
4/17 歌志内市泊
4/18 札幌市泊
4/19 日高町泊
4/20 帯広市泊
4/21 帯広空港からANA便で羽田へ 帰宅
レンタカー: トヨタ ヤリス 4WD 1500cc
全ドライブ行程: 1,940Km
燃費: 17.86Km/L
主な訪問先
幸福駅跡
愛国駅跡
芽室町ふるさと歴史館
道の駅ガーデンスパ十勝川温泉(水着直用の混浴温泉)
阿寒国際ツルセンター グルス
釧路湿原野生生物保護センター
釧路市湿原展望台
阿寒湖アイヌコタン
900草原 展望台
荒川版画美術館(高レベルの版画作品あり)
計根別飛行場(今となってはただの原っぱです)
別海町鉄道記念館
中標津町郷土館(円山公園内)
別海町郷土資料館
別海フライトパーク
標津町北方領土館
道の駅 おだいとう(一般の道の駅とは違い、北方領土資料館/展望台))
旧奥行臼駅逓所
根室車石
根室市歴史と自然の資料館
北海道立北方四島交流センター
霧多布岬展望台(霧で視界不良だった)
霧多布温泉 ゆうゆ(いい湯でした)
ピリカウタ展望台(霧で視界不良だった)
道の駅 厚岸グルメパーク
旧岩保木水門(写真映えする産業遺産です)
太平洋炭礦炭鉱展示館
釧路市湿原展望台
旧上茶路駅(寂寥を感じる捨てられた駅)
釧路市湿原展望台
旧上茶路駅(寂寥を感じる捨てられた駅)
十勝が丘展望台
富良野市 博物館
ファーム富田
上富良野開拓記念館(冬期休館中だった)
東京大学 森林資料館(展示のみならずクラシックな建物も良かった)
「泥流地帯」三浦綾子文学碑(最近、映画化推進運動が起こっているようです)
滝里ダム管理支所
炭山川橋(炭山川橋梁にディーゼル機関車と石炭専用貨車を静態保存<日本遺産>)
星槎大学(旧・頼城小学校,日本遺産)
黄金水松(樹齢1,700年のイチイの樹)
星の降る里百年記念館
宗教法人天徳育成会 天徳院(高さ約88mの「北海道大観音」)
赤平市炭鉱遺産ガイダンス施設
郷土館 ゆめつむぎ(人口が日本最小の市「歌志内市」の展示館)
道の駅 うたしないチロルの湯(閉山となった炭鉱の湧き水(湯)を温泉として利用)
三笠市立博物館
安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄(北海道の景色の中に彫刻作品を展示)
美唄ダム(冬期は湖面が凍結するんですね)
北海道博物館
北海道開拓の村(開拓時代の名建築を移設)
さっぽろ羊ヶ丘展望台(少年よ大志を抱け)
千歳市埋蔵文化財センター
道の駅 あびらD51ステーション
社台スタリオンステーション(入場せず、放牧の競走馬を撮影した)
門別競馬場(競馬やってなかった)
厚真町軽舞遺跡調査整理事務所(学芸員が熱心に説明してくれました)
平取町立二風谷アイヌ文化博物館
萱野茂 二風谷 資料館(この博物館は良かった)
日高山脈博物館(日高山脈を「国立公園」への動きがあるようです)
「道の駅 十勝川温泉」には、『混浴・水着着用』の日帰り温泉施設が付随しています。
水着着用ですから外部からの視線遮蔽のためのフェンスがなく、露天風呂からの視界も開けていました。生憎の曇天で遠くの山脈は見えませんが、紅葉シーズンなら絶景でしょうね。
「阿寒国際ツルセンター グルス」に行きました。オフシーズンで丹頂の大群を見ることはできませんでしたが、数羽の丹頂が10mくらいの至近距離から飛び立つのを見ました。これほどサイズの大きな鳥が目の前から飛び立つのは迫力がありました。
弟子屈町にある「900草原展望台」に行ってきました。四方に視界が開けていて北海道の雄大な景色を展望することができました。
弟子屈から中標津へ移動する途中、「多和平展望台」に立ち寄りました。四方に展望が開けていて北海道らしい雄大な展望を楽しむことができました。
真北方向に眼をやると富士山を小型にしたような形の「コニーデ式火山」の孤峰が見えたので撮影しました。ホテルに入ってGoogleMAPで調べたら、直線距離で15Km離れた摩周湖の山でした。摩周湖はこの山の頂上のカルデラ湖なんですね。
今日は(旧)日本国有鉄道白糠線上茶路駅に行ってきました。廃駅の多くは駅舎や線路が撤去されている例がおおいですが、この駅は線路が残され、荒れ放題に放置されています。線路の間から雑木が生えているのは寂寥を感じます。この駅は1964年~1983年の19年間営業した短命の駅だったそうです。
釧路湿原展望台と近くの「岩保木水門」に行き撮影してきました。この水門は、釧路市街地を洪水から守るための施設で、新旧二つあります。旧は昭和6年完工、新は1990年運用開始です。旧は導水路が埋め立てられていて現在は機能停止しています。
旧は防水扉(ゲート)が2分割されていて、ゲートのオープンは人力で巻き上げるようになっていました。見たところゲートは各4トンくらいの重量です。力持ちの人でないと巻き上げられないでしょう。
富良野観光の定番である「ファーム富田」のラベンダーは、シーズンがこれからで、今日は少ししか咲いていませんでした。
今から約100年前、十勝岳が噴火し、溶岩の熱で積雪が溶けて泥流となって上富良野を襲いました。死者144名の大災害でした。
十勝岳大噴火を描いた、三浦綾子著「泥流地帯」の文学碑
旧・三井芦別鉄道炭山川橋梁に静態保存されているディーゼル機関車DD501と、石炭専用貨車セキ3820(日本遺産)
この写真一枚が撮影できただけでも今回の北海道旅行は大満足です
美唄ダムは湖面凍結していました
「羊ケ丘展望台」で『少年よ大志を抱け(Boys, be ambitious)』で有名なクラーク博士の銅像を撮影しました。
この名言はクラーク博士が札幌農学校のPresidentからアメリカに帰任する時の学生たちへの「贈る言葉」だったとのことです。1877年のことです。アメリカ建国後、約100年経過した頃で「フロンティア精神」とか「ヤンキー魂」に満ち溢れ国力が隆盛していた時代です。以来、150年、現在のアメリカの指導者たち(バイデンやトランプなど)からフロンティア精神がなくなってしまい、追いかけてくるチャレンジャーの中国や日本などへのバッシングに終始しているように感じます。チャレンジャーをバッシングしたところで自分が前に進めるわけではないですからね。
競走馬生産牧場が軒を並べる日高町にやってきました。ところが、見学を許している牧場が少なく、道路わきに放牧されている牧場を見つけたので、道端に路駐して撮影したのを添付します。各牧場の厩舎も凝った建築デザインの建物が多く、「生きた芸術品」と言われるサラブレッドの家(厩舎)にも美的意匠を凝らしているなー、と生産牧場の心意気を感じました。
日高から帯広に移動してきました。このコースは観光スポットが少なく、もっぱら自動車運転/途中休憩の連続でした。ところが、途中の「萱野茂 二風谷アイヌ資料館館」を見学してカルチャーショックを受けました。この施設は、アイヌ出身(当地、二風谷(ニブタニ)生まれ)で初めて国会議員になった茅野茂さんが設立し、5年後に平取町に寄贈された施設です。
展示されている民族衣装、生活道具などは、北海道各地のアイヌ博物館と類似で私にとって「Nothing new」ですが、驚いたのは、約100年前(推定)に撮影されたアイヌ庶民の日常生活のスナップ写真(約30枚)です。写真から分かるのは、100年前までは『狩猟、漁猟・採集』していたことです(農耕の写真は展示されていません)。日本列島で青森以南は、今から2300年前には「狩猟、漁猟・採取」の縄文時代が終わり、農耕による食料ゲットの時代(弥生時代)に入っていたのですが、北海道では20世紀まで続いていたのです。アイヌ民族が「頭が悪かった」からではありません。文字がなかったために文章で科学・文化を後世にTransferする拡散力が劣っていたからだと思います。
ジビエ料理を食べました
「手打ち・摩周ソバ」で有名な「両国屋」で名物「摩周ラーメン+ミニざるそば」をいただきました。生産数が少なく入手困難なため「幻の蕎麦」と言われた弟子屈産の摩周蕎麦をこの店で手打ちしていました。写真に写っている「摩周ラーメン」と「ざるそば」では麺の太さが違っていました。
コメント
コメント一覧 (1)
私は新婚の頃に、札幌に住む佐崎に車を借りて、10日程ぐるりとまわりました。幸福駅とか懐かしいところが出てきましたね。羊ヶ丘は次女が結婚式を挙げた所です。夫婦でまわられたのですか?
ja2dhc
がしました